9月のロシアの暦

編訳者:前田勇[元経団連・日ソ経済委員会主任研究員]  

 

9月2日
○1944年、ソ連国防委員会は、サラトフ市とモスクワ市を結ぶガス・パイプ・ラインを建設する決定を採択した。サラトフのガスは首都に1946年7月11日に到達し、それからモスクワ市民の台所のガスの本格的な供給が始まった。


9月4日
○1884年、ロシアで新しい大学の規約が採択された。これは1863年の自由主義的な成果とされた「再建(ペレストロイカ)的」規約を廃止するもので、それ以後、大学の自治は失われ、大学の学長、学部長、教授は文部大臣が任命することになった。


9月6日
○1869年、バーゼル[スイス]で第1インターナショナル[社会主義運動の国際組織、第2、第3と続く]の第4回大会が開催され、カール・マルクス派は、「右翼プルードン主義者の残党」に壊滅的な攻撃を行った。無政府主義者のミハイール・バクーニンは、相続権の廃止問題についての自己の立場から、代議員を同数の二つのグループに分裂させたので、決議の採択は不可能になった。総会直後、マルクスとバクーニンとの間で、相手をペテン師呼ばわりをする激越な論争を展開した。ロンドンで精力的に「マルクス一派」に反対していたロシアの思想家・社会主義者のゲルツェン(1812〜70)はバクーニンを支持した。


9月9日
○1939年、外務人民委員モロトフは、ドイツ帝国の外務リッペントロプに、下記の電報を送った。「私は、ドイツ軍がワルシャワに侵攻したとの貴殿の通告に接した。何卒、ドイツ帝国政府に私からのお祝いと挨拶をお伝え願いたい」


9月17日
○1954年、「モスクワ市委員会は問題を正しく解決したとみなす」ときわめて簡潔にモスクワのファースト・レディたる共産党モスクワ市委員会第一書記エカテリーナ・フールツエヴァは、詩人のアレクサンドル.トヴァルドフスキーに回答した。詩人は彼女に党の書類の切り換えの際に、登録カードの出身に関する文言の変更を陳情していたのである。詩人は「父親は富農」と言うのは事実に反すると主張していた。結果的にトヴァルドフスキーは、党員証受領を拒絶し、間もなく「ノーヴィ・ミール」編集長を解任された。[その後、1958年編集長に返り咲いて政府寄りの文学を批判、当時の支配的イデオロギーに反対する文学勢力の中心となり1970年再び解任されたが、60年代文学の精神の表現者となった(1910生まれ、1971没)]


9月21日
○1953年のこの日、チュメン州のベレゾーヴォ集落で、シベリア最初のガスが噴出した。

(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)