編訳者:前田勇[元経団連・日ソ経済委員会主任研究員]  


7月4日
○1812年、ナポレオンは、ロシアに侵入して7日後に全軍に厳しい命令を発した。強盗や略奪を働く現場を発見された兵士全員を逮捕し、それらの者を軍事野戦法廷に引き渡し、有罪の場合は即座に銃殺に処するとした。しかし、大量の銃殺がにもかかわらず、ロシア領内での波状的な略奪は止まなかった。
○1947年、米国、英国、フランス及びソ連の外相による「マーシャル・プラン」(ヨーロッパ復興援助計画)構想が討議されたが、モロトフ外相が、これを「狡猾な帝国主義の企み」として参加を断固拒否した。今では、多くの学者が、ソ連は結局無駄な拒否をしたとの見解に傾いている。


7月6日
○ロシア正教会は、有名なウラジーミルの聖母のイコンを讃える三つの祭日の一日を今日祝う。この祭日は、1480年のアフマート汗からのモスクワの救出〔これがモンゴルの軛からロシアが解放されるきっかけとされた〕を記念するものである。
○1962年、ソルジェニーツィンの小説「イワン・デニーソヴィチの一日」に震撼されたノーヴィ・ミール編集長のアレクサンドル・トワルドーフスキーは、ニキータ・フルシチョフに、「この作家の衝撃的な小説」に「注目」するように願い出た。フルシチョフは「注目」どころか、その出版を自ら承認した。


7月7日
○1887年、現代絵画の巨匠の一人であるロシア出身のマルク・ザハーロヴィチ・シャガールが誕生した(1985年没)。シャガールの絵画は世界の著名な美術館が、それを誇りとしているものである。


7月10日
○1984年、映画制作のための出張の名目でイタリアに「国外退去させられた」アンドレイ・タルコフスキー監督[1932〜86]は、ミラノでの記者会見で、「永久に西側に残る」と言明した。亡命中も彼はやはりロシアの魂をもった監督であり続け、祖国を遠く離れて、「ノスタルジヤ」[1983年、イタリア]、「いけにえ」[1986年、スエーデン]を制作した。[ソ連映画の名を世界に轟かせた鬼才タルコフスキーがレーニン勲章を受けたのは没後1910
年になってからである。「僕の村は戦場だった」(イワンの幼年時代)(1962)、「アンドレイ・ルブリョフ」(制作1966年、公開1971年)、「惑星ソラリス」(1972)、「ストーカー」(1980)などが、DVDで入手できる。


7月19日
○1862年、ニコライ・チェルヌィシェフスキーが、逮捕され、ペトロパウロフスク要塞監獄に収監された。逮捕の正式の理由とされたのは、ロシア政府に対する破壊活動を行っている移民との接触が被疑事実だというものだった。物的証拠として警察が挙げたのは、没収した外国向けのチェルヌィシェフスキーの書簡で、それもかなり中立的な内容のものであった。1864年5月、結局シベリア徒刑に送られるのだが、その判決を待つ間に、彼は独房の中で、かの有名の長編小説「何をなすべきか」を書き上げた。


7月22日
○1952年フィンランドでの第15回夏季オリッピックでソ連のサッカーの選抜チームが、ユーゴスラヴィア・チームとの対戦で三対一で破れて先に進めなかった。チトーを憎悪していたスターリンは、ソ連の選手を罰した。二人の選手は「功労スポーツ・マスター」の称号を、三人の選手は「スポーツ・マスター」の称号を剥奪され、トレーナーは「功労スポーツ・マスター」の称号を剥奪された上に、職場を失った。


(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)