月5日

○1964年、ボルガ川とオネガ湖を結ぶ船舶航行可能なレーニン記念ボルガ・バルト海水路が完成した。この運河の建設の手段として用いられたのは主として囚人の人力であった。[延長約1,100q、深さ4メール弱、航行船舶排水量5,000トン以内。モスクワ運河、ヴォルガ・ドン運河とつなげて、往時モスクワは世界の五つの海につながると喧伝された]


6月17日

○1874年、繊維工場主を父とする8人の富裕な銀行家および企業家の息子の四番目だったステパン・リャブシンスキーが誕生した(没年1942年)。彼はロシア最大のイコン収集家であり、また卓越した古代ロシア芸術通として知られたが、1917年に国外に亡命した。彼の膨大なコレクションはロシアの各美術館に分散され、一部は売却されてしまった。最も貴重なイコンのうちの54点はトレチャコフ画廊に納められた。マーラヤ・ニキーツカヤ通りの彼の豪華な邸宅は、後にイタリアからソ連に帰還した作家ゴーリキーの住居に提供された。

○1992年、ボリス・エリツィンはアメリカ議会で演説し、議員の嵐のような拍手のなかで、ロシア共産主義は崩壊したと宣言した。


6月22日

○1941年、独軍は1940年8月調印の独ソ不可侵条約を破って、ソ連に侵攻した。戦争準備の不十分だったソ連軍は、スターリンの退却拒否のために、開戦から2〜3カ月で西部戦線において500万人の兵士を失った。


6月26日

○60年前、1942年、当時のセルギー府司教(1943年9月からモスクワ及び全ロシア総司教)は、次のような書簡をもって信者に対してドイツ軍とのパルチザン闘争に支持を与えるように訴えた。「すべての者は、パルチザンの行動を自分自身の個人的なものとみなし、パルチザンを自分の配慮で守り、彼らに武器や食糧や、あるもののすべてを与え、彼らを敵から隠さなければならない....」[ソ連政府は正教会の支持がなければ、独ソ戦に勝利を得ることはできなかったことは言うまでもないことで、戦時中に政府は正教会に対する弾圧姿勢を緩和した]


(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)