5月9日
○対独戦勝記念日(1941年6月22日独軍ソ連侵入、1945年4月23日赤軍ベルリン突入、4月30日ヒトラー自殺、5月7日ドイツ降伏)
5月11日
○1891年(明治24年)、大津で巡査津田三蔵が来日中のロシア皇太子(後のロシア最後の皇帝ニコライ二世)に斬り付け、こめかみに負傷を与えた(大津事件)。朝野を驚倒させたこの事件に皇太子は終始冷静であり、犯人取り押さえに協力した2名の車夫に対して、離日前に勲章や一時金を与えた。また、大審院特別法廷が、天皇、三后、皇太子への危害を死刑とする刑法を外国には適用せず、津田三蔵を無期徒刑としたことは政府の干渉から司法権の独立を守った。
5月16日
○1764年、ペテルブルグのスモーリヌイ修道院に世襲貴族の女子教育協会(後に単科大学)の基礎が置かれた。これはロシア最初の国立の貴族の娘たちの教育機関で、ロシア文化の発展に巨大な役割を果たした。この修道院(1748ー64)は有名な建築家ラストレーリによるものであるが、10月革命時に革命政府が置かれたことで知られる。現在はサンクト・ペテルブルグ市庁その他に使われている。
○1967年、アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、祖国の文学の貧困状況と検閲やイデオロギー的抑圧の廃止を訴える「第4回全ソ作家同盟大会への書簡」を書いた。大会直前に約250名の出席者に公開状として送った。アントーノフ、アクショーノフ、バクラーノフ、テンドリャコーフら約100人が書簡を支持し、審議を要求したが、大会はこれを黙殺した。このノーベル賞作家は1974年国外追放され、トイツおよび米国に居住、ソ連崩壊後1994年帰国した。
5月30日
○1907年、革命テロリズムの嵐(5月だけでテロ行為によって数百人が死亡した)の最中であったが、国会(帝政ロシアのドゥーマ)は秩序維持に係る警察の「不法行為」を有罪とした。
5月31日
○1942年、ドイツ軍の包囲下にあったレニングラードで「ディナーモ」(レニングラード)対「メタリーチェスキー・ザヴォート」のサッカーの試合が挙行された。「ディナーモ」が6対0で勝った。この試合の実況放送は前線にも中継された。ドイツ軍に包囲されているレニングラードは屈伏していないことを全世界に鮮明に誇示したものであった。
(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典。編訳者:前田勇[元経団連・日ソ経済委員会主任研究員])
