3月1日 
◇1897年、皇帝の命令で警察の監視のもとでの3年間の東シベリア流刑になったウラジーミル・ウリヤーノフ(当時まだレーニンとは名乗っていなかった)は、起訴前取調房に14カ月過ごした後、受刑者護送の宿営地をたどることは免除されて、自分の費用でペテルブルグからクラスノヤルスクに向かった。途中、彼はモスクワにも何日か滞在し、母親に会ったり、ルミャンツェフ図書館で勉強もした。

3月2日 
◇1832年に出版人・書籍販売業者であったアレクサンドル・スミルディーン(1795-1857)は、ペテルブルグのネフスキー大通りにある自分の最も立派な書店の中に読書図書館を開設した。「それは広大な、明るい、豪華なホール」であった。これを祝って図書館でバンケートが催された。書棚に囲まれた真ん中にテーブルが用意され、午後6時には50人以上の文人たちがそれぞれ着席した。プーシキン、彼と不仲のブルガーリンその他クルイローフ、ジュコーフスキー、ゴーゴリといった顔ぶれその他であった。

3月5日 
◇1977年、ブカレストその他の都市で1500人以上の犠牲者を出した壊滅的な地震があった。その波動が、モスクワで夜の遅い時間に感じられた。当時モスクワに勤務していた筆者は、モスクワで地震の揺れを経験したことがなかったので、地震ではなく、どこかで大爆発があったと思い、恐怖感に襲われたのを記憶している。 
◇この日は、赦罪の日曜日(プラショヌイ・ヴァスクレセニエ)と呼ばれ、正教の伝統による大斎の前日に当たる。この日には正教信者らは互いに許しを乞いあう。

3月13日 
◇1922年、ウラジーミル県シューヤ市(現在はイワノヴォ州)の信者がボリシェビキによる文化財没収に反対して大衆行動を起こした。二日後には信者との闘争に軍隊が投入された。 ◇1937年、他の雇用者との労働協約に当局の署名がなければ、農民のコルホーズからの脱退を禁止する法律がソ連で採択された。このようにして農民は事実上国内での自由な移住の権利が奪われた。 
◇1987年、異常な関心を集めたアナトーリイ・ルイバコーフの小説「アルバートの子供たち」の連載を開始する雑誌「民族の友好」4月号の印刷許可が出た。この反スターリン小説の出版許可を取り付けるために作者とその夫人は20年も苦労をしている。その様子は、「ロマン・ヴァスポミナーニエ」という回想風な小説に描かれている。「アルバートの子供たち」と3部作をなすのが「恐怖」と「骨と灰」で、いずれも読者を引きつけて離さない傑作である。「アルバートの子供たち」には邦訳がある(みすず書房)。

3月18日 
◇正教信者は大斎に入る。これは7週間(49日)続く。その期間信者は肉食をせず、娯楽にふけらず、結婚もしないことになっている。

3月26日 
◇2000年、ロシア連邦大統領選でヴラジーミル・プーチンが勝利を収めた。

3月28日 
◇1983年、ワルワーラ・ブブノワ没(1886年ペテルブルグ生れ)、1922年、小野俊一と結婚した妹アンナ(バイオリニスト)を訪ねるために母と共に来日。長年にわたって日本でロシア語・ロシア文学を早稲田大学などで講じ、計り知れない大きな功績を残した。また版画家としても高い評価を受けた。58年帰国。82年勲4等宝冠章。伝記「ブブノワさんという人」(コジェーヴニコワ著、群像社)がある。

   (典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)