12月10日
○1883年、後にスターリン時代の「大審問官」となったアンドレイ・ヴィシンスキー(1954年没)が生まれた。彼はソ連副検事総長及び検事総長(1933〜39)、ソ連人民委員会議副議長(1939〜44)、外務大臣(1949〜53)を歴任。39年からのソ連共産党中央委員。彼が押し進めたのは適法性の重大な侵害、大量弾圧の妥当化であり、特に被告の自白を主要な証拠とすることであった。30年代の大弾圧の時の所謂でっち上げ裁判の国家告訴人の急先鋒であった。
○1953年、ソ連共産党中央委員会幹部会は「1934年12月1日付の法律によって規定された手続きによる非公開裁判でベリヤ及びその一味の告訴の審理に関する」決定を採択した。内務大臣ベリヤは同年6月に国家権力奪取のかどでフルシチョフによって逮捕され、上述の秘密裁判で裁かれ、12月には銃殺された。言うまでもなくベリヤは30年代の大弾圧を組織した張本人であった。

12月12日
○1928年、キルギスタンの作家にして外交官、旧ソ連で広く読まれた小説「ジャミラ」、「白い船」、「処刑台」(邦訳群像社)等の作者であるチンギス・アイトマートフが生まれた。特に「ジャミラ」は「世界でもっとも美しい恋物語」であるとフランスのコムニスト作家ルイ・アラゴンが絶賛し、自らフランス語に訳した。この小説の邦訳名は「絵の中の二人」、集英社世界文学全集に収められている。

12月13日
○1903年、作家ワレンチン・カターエフの弟で風刺作家のエフゲーニー・ペトローヴィチ・ペトローフ(1942年戦死)が生まれた。作家活動に入る前まで彼は犯罪捜査を指揮する部長刑事であった。作品のほとんど全部はイリャー・イリフ(1897〜1937)との共作で、二人はイリフ・ペトロフとして知られ、20年代の風俗を背景にした「12の椅子」(1928,邦訳あり)は、これがソ連時代の作品かと疑わせるくらいに自由闊達で面白い。30年代の大弾圧前の作品だからであろう。

12月23日
○1858年、演出家、作家、劇作家にして、コンスタンチン・スタニスラフスキー〔1863〜1938〕と共にモスクワ芸術座を創設したウラジーミル・ネミーローヴィチ−ダンチェンコ(1943年没)が生まれた。〔因みに、この二人の勧めでモスクワ芸術座のために芝居を書くことになり、名作を残したチェーホフは1860年生まれで、1904年に亡くなっている。上述の二人は、ほんど生年は同じだが30〜40年長生きしている〕

12月24日
○1928年、宗教哲学サークルとの関係を問われて、文献学者、文芸学者であり哲学者のミハイル・バフチン〔1895〜1975〕が逮捕された。最初、彼は白海のソロフキ収容所に送られ、1930年の春にカザフスタンに流刑とされた〔36年まで〕。〔ドストエフスキー創作手法論(1929年初版、1979年第4版)、フランソワ・ラブレーの研究(1940年の作、発表1965年)その他多くの作品があり、現代の文化論に大きな影響を与えた〕

12月29日
○1898年、モスクワ芸術座のチェーホフの「かもめ」の上演は、凱旋〔勝利〕的な大成功をおさめた。〔これには作者の演劇史上の新機軸を理解し得なかった1896年のペテルブルグのアレクサンドリンスキー劇場上演の失敗によってチェーホフが危機的な健康状態をさらに悪化させたと言われる事情がある。芸術座ではアルカーディナをオリガ・クニックペル(チェーホフの妻)、トレープレフをメイエルホリド、トリゴーリンをスタニスラフスキーが演ずるという豪華キャストであった。この成功と病気療養中のチェーホフの暮らしていたヤルタでの巡業による「ワーニャ伯父さん」の上演が、戯曲の創作を断念していたチェーホフをして最後の名作「三人姉妹」と「桜の園」を世に残す結果となった〕

  訂正:11月の暦に、11月7日を「旧10月革命記念日、現在は祝日『和解と合意の日』である」と記述しましたが、今年からそれも廃止され、普通の労働日となり、11月4日が1612年にモスクワを占領していたポーランド軍を敗走させたことを記念して祝日「民族統一の日」とされました。

                    (典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)