11月7日
○旧10月革命記念日、現在は祝日「和解と合意の日」である。また、このロシア革命(レヴォリューツィヤ)を10月政変(ペレヴァロート)と呼ぶことの方が多い。
○1941年(ドイツは対ソ不可侵条約を破棄して6月22日にソ連に侵攻)米大統領ルーズヴェルトはレンド・リース(武器や軍事物資の貸与)法をソ連にも適用した。
11月8日
○1891年、レフ・トルストイ(後述)は飢饉援助組織のためにリャザンの僻地に向かった。同様な旅行をトルストイは1892〜3年にも行った。当時この飢饉は数百万の人命を奪ったが、アレクサンドル三世は、「ロシアには飢饉はない。不作で苦しんでいる地域はある」と声明していた。
11月12日
○1833年、オペラ「イーゴリ公」の作曲家であり、また著名な化学者でもあったアレクサンドル・ボロディーンが誕生した(没年1887年)。彼は、バラーキレフ、ムーソルグスキー、リームスキー・コールサコフ、キュイーらの所謂ロシア5人組作曲家集団(マグーチャヤ・クーチャ)の一員。「イーゴリ公」は1890年にリームスキー・コールサコフとグラズノーフによって完成された。
○1948年、7名絞首刑、16名終身刑、他2名にそれぞれ20年と7年の懲役、2名は判決前に死亡、1名は病気のために不審理とされた、所謂「東京裁判」〔極東国際軍事裁判〕が終了した。
○1953年、フランスの国民的英雄ドゴール将軍が、ある演説で「大西洋からウラルまでのヨーロッパ」という表現を使った。その後、この表現は政治家やジャーナリストの間で定着した。1965年にはドゴールは、この表現を「...いつの日かヨーロッパは大西洋からウラル山脈まで一体になるであろう」との長期的政治的展望のコンテクストの中で用いた。
11月13日
○1918年、ロシア共和国セーヴェルヌィ州の人民委員会は、ロシア芸術に対する功績を記念して人民出身の高い才能のあるペトログラードの国家歌劇場の歌手フィョードル・シャリャーピン〔1873〜1938〕に人民芸術家の称号を与えた。人民芸術家の称号は、その後芸術家にとって最高の栄誉とみなされるようになった。シャリャーピンは1922年から海外に居住して活動を続けた。1984年には彼の遺骨はパリからモスクワに移された。1991年からシャリャーピン記念国際オペラ祭がカザンで開催されている。また1993年からシャリャーピン記念国際オペラ歌手コンクールがも開催されている。)
11月15日
○1903年〔明治36年〕、モスクワの新聞「今日のニュース」に、モスクワ市議会(ドゥーマ)は「自転車の乗用可否問題を審理し、全街路を開放するとの自転車愛好者に好ましい決定をした」と伝えた。因みに市内のレフ・トルストイ邸・博物館に老作家が愛用した自転車を観ることができる。 11月20日
○1910年(ロシアの旧暦では11月7日)、ロシアの偉大な作家であり社会活動家であったレフ・トルストイ(1828年生まれ)が、領地を遠く離れた田舎駅アスターポヴォ(現在はリャザン・ウラル鉄道のレフ・トルストイ駅)で82年の生涯を閉じた。質素な生活の実践者であったが、貴族(ロシアの最も古い伯爵家)の生活を捨て、新しい生活を求めての家出の10日後のことであった。家出の原因はトルストイの宗教的解脱とも謎ともされる。三大長編小説「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」、「復活」は、いずれも世界文学の最高峰の一つに数えられている。
(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)