1月16日
○1904年(明治37年)、東京のロシア弁理公使サモイロフ中佐は、日本のロシアへの攻撃は近い、と暗号電信を打った。しかしながら、このゾルゲの前任者が伝えた報道も、それに続いた同様の報道も、1941年6月22日の独ソ戦開始の直前のヒットラーのソ連侵攻近しとのゾルゲの報告同様に無視された。

1月17日
○1989年、ソ連共産党中央委員会は「アンドレイ・ジダーノフの名を不朽のものとする法令の廃止」に関する決定を採択し、レニングラード大学はジダーノフの冠をはずし、ジダーノフ市は元の歴史的な名称マリウポーリに復し、モスクワの通りの名前もロジェストヴェンカに変った。ジダーノフ(1896〜1948)は40年代の半ばからスターリンの側近であり、30年代及び40年代の大量弾圧の組織者の一人であり、才能ある科学者や芸術家を反体制分子として弾圧した所謂「ジダーノフ批判」で知られる。批判の理由は、今では笑止千万な、ほとんど根拠のない西欧崇拝、形式主義、反社会主義、反人民性等であった。とくにショスタコーヴィチやハチャトウリャンの音楽を形式主義として批判したことは有名な話である。

1月19日
○ギリシャ正教の祝日−神現祭(主の洗礼祭)(この日、厳寒のなかを氷を割って水浴びをする習慣がロシアにある)
○1919年、ヤシカ・コシェリニコフ(クズネツォフ)、ザーヤツ・ショーフェル及びレーニカ・サポージニコフの三人の追剥が、ソコーリニキ〔公園〕に向かうレーニンの乗った車を停止させ、乗員をおろし、レーニンのこめかみに銃口を当てて、ポケットを探ってクレムリンへの通行証とピストルを取り上げ、車を奪って逃走した。保安機関はモスクワをくまなく捜索し、2週間後に彼らを逮捕した。

1月21日
○1924年、この日の18時50分、ゴールキ(1972年から歴史・自然公園レーニンスキエ・ゴールキとして保存されている)でウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年生まれ)が死去した。

1月23日
○1898年、映画監督、脚本家、芸術理論家のセルゲイ・エイゼンシタインが誕生した(1948年没)。「戦艦ポチョムキン」、「アレクサンドル・ネフスキー」、「イワン雷帝」などの監督であり、ソ連映画の革新者であった。
○1904年、国内戦争の志願兵−赤軍兵士、16歳で連隊長、作家、ソ連児童文学の巨匠であったアルカージー・ペトローヴィチ・ガイダールが誕生した。大祖国戦争の当初から従軍記者であり、1941年に死去した。〔元ロシア連邦首相代行のエゴール・ガイダール(1956年生まれ)は、この作家の孫である〕
○1908年、物理理論家、ノーベル賞その他数多くの賞の受賞者レフ・ランダウが誕生した(1968年没)。38年に反党活動を行ったとの中傷によって逮捕されたが、ソ連と世界の学会が動いて彼を弾圧から救った。

1月24日
○1873年、文献学者、語彙論学者であり、ソ連時代に入って12年の歳月をかけて完成したロシアでの初めての本格的な規範ロシア語辞典「ロシア語解釈辞典」(1935〜1940、全4巻)の著者ドミートリー・ウシャコーフが誕生した(1942年没)。日本ではこの辞典の第1巻の出た1935年に、これまた画期的な八杉貞利「岩波版露和辞典」が刊行された。

(典拠は最近年のモスクワ・ニュース誌および各種事典)