日露和親条約 締結 150 周年記念関係資料展示
ロシアよりデイアナ号艦隊で下田に入港したプチャーチン提督と、江戸幕府の任命した全権筒井政憲、川路聖護らとの間で 1855年2月7日に日露和親条約が締結されてから今年で150年目を迎えます。 この条約により日露間で最初の国境画定が平和裏に行なわれました。 条約締結に至るまでには地震・津波発生によりデイアナ号が遭難し、また地元住民も多大な災害をこうむる等の様々な困難がありましたが , 戸田村の村民とロシア人船員が協力して代替帰国船戸田号を建造しました。 この偉業はその後の日露両国民の交流・親善発展の大きな礎となっており、150周年目の大きな歴史の節目に両国先人の偉業を偲びたいと思います。 (注)デイアナ号 : 1852年アルハンゲリスクにて竣工、52門大砲装備、船長53メートル、幅13,5メートル、2千トン、3本マストの木造快速帆船、乗組員500名 戸田号 : 船長25メートル、最大幅7メートル、約100トン、 乗組員60名 |

■江戸幕府より 1793年ラックスマンに与えられたロシア帝国艦隊の長崎入港許可書
(注: 1783年嵐により大黒屋光太ら 17名の船乗りがアリューシャン列島に漂着。
光太夫は首都ペテルブルグで女帝エカテリーナ二世に拝謁して、日本への送還を直訴した。
1792年、光太夫らはロシア官船“エカテリーナ二世号”で根室に着いた。
一行を送り届けたのがアダム・ラックスマンであった。
幕府は、ラックスマンの通商交渉開始の要請に対し、
長崎でのみ受け付けるとの通告をして、長崎入港の許可書を発給した。)

1 函館に入港したフリゲート艦“デイアナ号”
|