
セルゲイ・クズネツォフ氏
1956年 イルクーツク生まれ
略歴
1978年 イルクーツク国立大学歴史科卒業
ペテルブルグ大学・トムスク大学 大学院
1984年 イルクーツク国立大学助教授
1995年 イルクーツク国立大学教授
2000年 イルクーツク国立大学歴史学部学部長
ロ日協会イルクーツク支部副会長
主要著書
『英国の極東政策における日本(1945〜1962年)』
イルクーツク大学出版1988年
『第二次世界大戦後のロシア・日本関係での軍事捕
虜の諸問題(1945〜1956年)』イルクーツク大学
出版1994年
『イルクーツクの日本人墓地』能登印刷 1993年
『シベリアの日本人捕虜たち−ロシア側から見た
「ラーゲリ」の虚と実−』集英社 1999年
ほか
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「日ソ関係史に見る抑留問題」
セルゲイ・クズネツォフ
(イルクーツク国立大学歴史学部長)
(ロ日協会イルクーツク副支部長)
皆さんこんにちは、イルクーツク国立大学の教授、クズネツォ
フです。よろしくお願いします。今日の発表のテーマはシベリア
に於ける日本人の歴史ではなく、抑留のロシアに於ける研究の歴
史です。
10年前、そのテーマはロシアの国民にも研究者にも非公開で
した。みなさんのお手元にある私の発表の資料は、日本語の方に
は書いていないのですが、ロシア語の方にはロシアで出版された
抑留問題をめぐる参考文献のリストが書いてあります。12年前
の状況を考えてみますと、抑留問題に関する本どころか、記事や
発表もありませんでした。現在では多くの論文、または本が出版
されています。
ペレストロイカまでのソ連時代、その社会状況を考えてみますと
明らかになりますが、抑留問題に対する知識が溜まるプロセスは、
極めて簡単ではなかったのです。ソ連時代には極東シベリアにた
くさんの日本人捕虜がいたという噂がありましたけれども、学術
レベルでの証拠は何もなかったのです。勿論ロシアと日本、或い
はソ連と日本の関係についての多くの参考文献はありましたが、
非常に厚い本でも抑留問題について何も書いてありませんでした。
なぜそのような状況だったかはよく理解できません。ソ連時代の
研究者は日ロ関係についてポジティブの側面しか書かなかった訳
です。例えば赤軍の成功について書きましたけれども、難しい問
題、つまり死傷者の問題、抑留者の問題については何も書いてあ
りませんでした。その問題は非公開のものでした。
80年代、ソ連ではそれまで非公開だった抑留問題に関する色
々な資料が公開されました。その後、その問題について社会の関
心は非常に深くなりました。最初にその問題について語ったのは、
学者ではなくジャーナリストであります。それは学術的な論文で
はなくロシア人の有名なジャーナリストの新聞や雑誌の記事でし
た。ジャーナリストの名前を挙げると、例えばツヴェトコーフ氏、
ドゥナーエフ氏、タヴロフスキー氏等です。そのジャーナリスト
の目的は研究ではなく、社会の興味を引く事で、その目的は成功
したのではないかと思います。最初その記事は中央の新聞に掲載
されたのですが、その後シベリアと極東の新聞にも掲載されまし
た。
80年代の終わりにはロシアで死亡した抑留者の遺族は、その
墓地を訪問するようになりました。遺族の訪問について現地の新
聞や雑誌で記事が掲載され、ロシアの学者は抑留者の墓地および
収容所について最初の事実を知りました。その後、ジャーナリス
トや学者は公文書館の資料を研究し、その問題についてもっと学
術的なレベルで具体的に研究しました。抑留者問題について公文
書館の実録資料を初めて使用した論文は、ガレツキーという軍の
歴史を研究した学者のものです。具体的に言いますと、ガレツキ
ーは、捕虜の人数や収容所での死亡率、収容所の規則についてロ
シアで初めて公文書館の資料を引用し公開したのです。彼の抑留
者問題への寄与は非常に高く認めるべきです。
しかし次のようなコメントをしなければなりません。みなさんも
ご存知のように100%信頼できるのは歴史家の主張ではなく学
術的なデータだけであるということです。例を挙げますと、ガレ
ツキーの論文では収容所での捕虜の食事について正確なデータを
使用しているのですが、実際は実践していなかったのです。その
データに基づいて彼の研究の結果は、日本人捕虜の生活はそれほ
ど悪くなかったのではないか、というものでした。その状況を説
明すると、ガレツキーは軍人であったし共産党に属したので、気
を付けなければならなかったのです。
その後は、そのテーマについてシベリアと極東の研究者は活発
に論文を出し始めました。1つの例を挙げると、ウラジオストッ
ク出身のイリーナ・ボンダレンコさんは京都にいる日本人の捕虜
についてのデータを公開しました。私も特に東シベリアにいた日
本人捕虜について研究しました。現在、その問題についての研究
は新しい段階に入りました。今のロシアの院生はその問題につい
て活発に修士論文、博士論文を書いています。例えば、収容所で
の生活や労働、現地のロシア人との関係などについて、かなり深
く研究されています。それと同時に、もっと広いデータを用いて、
広い範囲での研究も行なわれています。例えば、ロシアでの日本
人捕虜の生活の特性について研究されています。しかし、そうし
たロシアに於いての活発な研究にもかかわらず、そのテーマに関
するデータが充分活用されていない可能性が多いのではないかと
思います。それは、抑留問題を研究しているロシアの学者達の多
くは日本語を知りませんので日本語の資料とデータを用いる事が
できないからであります。また、日本語を知っていても厚生省の
データを手に入れることは無理です。その問題を解決するには、
日本人とロシア人の歴史化の協力が必要です。協力の成功した1
つの例として1年前に北海道のスラブ研究所で行なわれたセミナ
ーを挙げたいと思います。そのセミナーで抑留問題は日本人の歴
史家に学術的な問題として認められました。それまでは問題とし
ては認められていましたが、歴史研究のテーマとしては認められ
ていなかったのです。なぜならば、重要な資料はロシアにありま
したので、日本人の研究者がそれを手に入れる事は困難であった
からです。それに45年前という歴史としては短い時間しか経っ
ていないので、多くの歴史家にとっては歴史として認識されてい
なかったという事もありました。
しかし、このテーマはとても大切ですので研究するべきです。
このテーマには色々な難しい問題があります。問題を解決するに
は事実を知ることです。ありがとうございました。
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