
中村喜和(なかむら・よしかず)氏
1932年長野県生まれ
略歴
1962年 一橋大学大学院社会学研究科博士
課程終了
1962〜1964年 日本貿易振興会(ジェトロ)勤務
1965〜1968年 東京大学教養学部講師
1968〜1995年 一橋大学社会学部助教授のち教授
1995〜2002年 共立女子大学教授現在、一橋大学名誉
教授
主要著書
『ロシア中世物語集』 筑摩書房、1970年
『聖なるロシアを求めて』 平凡社、1990年
『遠景のロシア』 彩流社、1996年
『ロシアの風』 風行社、2001年
『武器を焼け―ロシアの平和主義者たちの
軌跡』山川出版社、2002年
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「歴史的隣人としてのロシア」
中村喜和(一橋大学名誉教授)
中村喜和と申します。長い間、40年くらい職業としてロシア
語教師をしてきました。初めはロシア語の教師になろうとはあま
りいませんでした。私が大学に入りましたのは一橋大学でありま
す。一橋大学は皆様ご存知のように商学部や経済学部がありまし
て、ここを卒業しますと大体ビジネスに携わるということになる
訳であります。私が一橋大学に入るときも、将来ひょっとしたら
先ほどの大道寺さんみたいな銀行の頭取とか、或いは東電や三菱
商事、三井物産といった企業の社長とか・・・、まあそんなに偉
くならなくても、そういうところに就職しようと考えたからかも
しれません。そこで第二外国語としてロシア語を選びました。第
二外国語としてはフランス語やドイツ語、中国語などがありまし
たが、その中でロシア語を選んだ・・・選んでしまったのですね。
なぜ選んだのかは今になりますとあまりよく分からないのですが、
ロシア語を選んだ事を母親に話しましたら「ええっ!?」と言い
ましたね。「どうして?」と訊かれました。これは実は日本人の
ロシアのイメージと非常に深く関係していまして、もし私がロシ
ア語でなくてドイツ語を選んだなんて言うと、少し学問的で堅苦
しい雰囲気、フランス語を選んだと言うと、ちょっと洒落たハイ
カラな感じ、中国語だったら奥ゆかしい、そういう感じを受けた
のかもしれません。ロシア語を選んだ・・・これはちょっと変わ
っているという感じですね。実は語学だけではなく、先ほどお話
くださいました藤本先生は歴史家ですが、ロシアの歴史を選んだ
と言うと、イギリス史とかアメリカ史、或いはドイツ、フランス
に比べますと「えっ!どうしてロシアの歴史を選んだの?」とい
う風に問いただされる感じがあります。つまりそれだけロシアと
いうのは特別な国という感じがあるということです。特別な感じ
の他に、これは人によって、或いは年齢や住んでいる場所によっ
て違うかもしれませんが、ちょっと暗いような、政治的ニュアン
スがあるような・・・社会主義者や共産党員ではないかとか、そ
ういう漠然としたイメージが、私が大学に入った頃はありました。
これは昔のことでありまして、1950年代、今から50年位前
でそれから10〜20年そういうイメージが続きました。ですか
らロシアに関わる人はちょっと変わっている。みなさんもロシア
のイメージの話しを聞きに来るのは、普通の社会に中とはちょっ
と変わっている。小泉さんがロシア語をやらなかったのは不思議
ですね。彼みたいなそういう変わった雰囲気があるかも知れませ
ん。これが日本におけるロシアの一般的なイメージです。
しかし、日本とロシアの間には非常に古い付き合いがあり、そ
んな変わった特殊な面だけではないという事を、先ほど藤本先生
がお話くださいました。そのお話の中でも出てきたニコライとい
う日本人のキリシタンが、初めてロシアに行ったのは1600年
ですから、それから数えて約400年ということになります。こ
れは一番長い数え方でありまして、大黒屋光太夫から数えて21
0年です。光太夫については現在、毎日新聞の夕刊に吉村昭さん
が書いておられます。その前には井上靖さんの『おろしあ国酔夢
譚』というものがあり映画にもなりました。そういう付き合いの
歴史がありまして、面白いエピソードを年表にしました。みなさ
んのお手元にもお配りしてある『日ロ文化交流略年表』です。こ
ういう略年表を作ってみますと、いかに日本とロシアの間に古い
付き合いがあるかという事がよくわかります。これのわりと上の
ほうに「漂流民大黒屋光太夫ら根室に帰国」と書いてあります。
これは1792年、これから数えますとちょうど今年で210年
ということになります。それから先ほど高田嘉七さんがここでお
辞儀をされましたが、七代前のご先祖高田屋嘉平さんも有名な方
で、函館に行きますと高田屋嘉平さんの立派な銅像や博物館があ
ります。それからちょっと下に行きますと「宣教師ニコライ、函
館から東京に進出」とあります。これは実際に函館に聖ニコライ
が来られたのはもう少し前ですけれども、東京に来て本格的に活
動をお始めになる・・・これは非常に重要な出来事です。日本の
中にロシア文化の粋ともいうべきロシア正教会が足場を作ったと
いう事で、現在は立派なニコライ堂になっています。このニコラ
イ堂は昔は御茶ノ水の駅を出るとすぐ見えたのですが、最近は周
りに高い建物が出来てしまいまして、ビルの陰になっています。
毎年、春先に復活祭(ロシア語ではパスカ)がありまして、私も
今年参加してまいりましたが、今年は5月5日でしたか、割と遅
く非常に陽気が良かった。復活祭は徹夜で非常に盛大な儀式が行
なわれます。ロシア正教というのがどういうものかが良く分かり
ますし、これはロシア文化の代表的なものですので、みなさんも
是非いらっしゃるとよいと思います。それから、函館には五島軒
というレストランがあります。最初のコックは榎本武揚の部下で、
官軍と戦ったの人物です。その後、戦争で負けて逃げまして、ロ
シア領事館に行って匿ってもらうことになります。しかしただ匿
ってもらうだけではいけないというので、厨房を手伝うようにな
りました。そのうちにロシア料理の作り方を覚えて、今でも後藤
軒では140年ぐらい前の作り方で、ボルシチを作って味は独特
のものです。ロシア人が気に入るかどうかこれはわかりません。
先ほどもロシア人に聞いてみたのですが、日本中のロシアレスト
ラン、東京にたくさんロシアレストランがありますが、ロシア人
は「本当のロシア料理ではない、日本人の味覚に合うように作り
変えている」と言います。そういう様なことがたくさんこの略年
表にはあります。東京外国語学校、これは今の外語の前身です。
これは、一度創られて二葉亭四迷などがそこで勉強していたので
すが、また新たに復興したのが1899年、日露戦争の直前のこ
とです。また、同時期にウラジオストックに東洋学院ができます。
これは日本もロシアも戦争が始まるかもしれないと考えて語学教
育をはじめたのです。語学教育は国家間の利益というものに非常
に密接に結びついている訳であります。それから下から3番目に
「1914年復活の劇でカチューシャの唄流行」とあります。こ
れは非常に重要なことです。実は藤本先生の話には出てこないの
ではないかと密かに思っていたのですが、ちゃんと言及されまし
た。私の母親はカチューシャの唄を歌っていました。この会場の
中にもカチューシャの唄をご存知の方も相当多いのではないかと
思います。知っている人と知らない人でそのジェネレーションが
分かれてしまいます。このカチューシャの唄は先ほど藤本先生が
歌詞をおっしゃったように「カチューシャかわいや別れのつらさ」
という歌です。私達が学生時代の頃に歌ったカチューシャは戦争
時代の歌でありまして「林檎の花ほころび川面に霞立ち」という
歌詞で、同じカチューシャでも別なカチューシャの唄でありまし
て、私の母親が知っていたカチューシャの唄は、大正3年に帝劇
で初演された「復活」という芝居の劇中歌です。これは非常に当
たりまして、劇中でこの唄を歌った松井須磨子も大スターになり
ました。今で言えば宇多田ヒカルとか、安室奈美恵・・・ちょっ
と古いかな。そういうような歌手に匹敵するような大スターにな
りました。実は私の母親は松井須磨子の家の隣で生まれました。
同じ村に居たからといってみんな美人だという訳ではありません。
しかし私の母親が持っていたロシアのイメージというものは、そ
の唄でカチューシャというかわいい女の子がロシアにいる、それ
からシベリアまで行って結婚を申し込むような真面目な貴族がい
る。しかし厳然たる階級制度があって片方は貴族、もう片方は庶
民。しかもカチューシャは半分ジプシーの血が入っていてロシア
の中でも差別されているような人でありますから、とても貴族と
結婚するような具合にはいかない訳であります。文化の交流がい
かに大切かということがこれでわかりますね。
先ほど私が日露戦争の前に外国語大学ができたと言いましたが、
20世紀の前半で日本とロシアは3〜4回位戦争をしています。
日露戦争をはじめ、シベリア出兵、ノモンハン、第二次世界大戦。
また第二次大戦後のシベリア抑留問題・・・つまり20世紀の前
半は日本とロシアの対立・抗争・戦争の歴史と言えます。ですか
ら日本人のロシアのイメージ、歴史的なロシアについての認識は
良いはずはない。ですからロシアについて学ぼうという人はちょ
っと変人だと、ファーストインプレッションでそう思われても仕
方がない訳であります。
しかし、現在の我々日本人のロシアイメージを規定しているも
のは、ちょっとこれはタブーの言葉なのですが北方領土・・・4
つの島なのです。この島をロシアがパッと返してくれれば、明日
にもロシアに対するイメージは変わって歴史的な大転換が起こる
訳であります。日本人の世論や政治家の意見は四島一括返還とい
う事で固まってきましたが、外交交渉というものは相手があるこ
とですから、どうなるかは分かりません。ロシアは返さないと言
っています。もうそこには2万人住んでいる。その事について非
常に詳しい本を書かれた方もここにいらっしゃいます。返還につ
いてはここで議論する問題ではありませんが議論できないのであ
れば、なるべく日本人とロシア人が色々なチャネルを通じて話し
合い、文化的なコミュニケーションを取り合って、なるべく多く
の日本人がロシアに行ってロシア人のことを知り、なるべく多く
のロシア人が日本に来て日本のことを知るというような事が今で
きる唯一の事だろうと思います。しかし領土問題ということも永
久に問題として残るということはありえません。長い目で見れば
いずれはなんとか解決するに決まっているわけですからそうなる
とおそらく、みちのく銀行も大きな利益を得る可能性が生じてく
る訳であります。私はかつてロシア語の教師をした個人に過ぎな
いわけですが、私としてはそういう付き合いを広げるようなお手
伝いをする以外にはないであろうという風に考えております。ち
ょうど時間がまいりましたのでこれで終わらせていただきます。
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